あーれあれブログ

あーれあれとあれこれ言いたい

楽に仕事ができる習慣 仕事はできないよりできる方が良い その2

【日常行動様式4原則】習慣化してこそ行動できる!

  1. 毎日新聞を読む(WEBもOK)

  2. スマホ&パソコンをとことん使いこなす

  3. 「何故 なぜ?」を常に考える

  4. 自責思考を常にもつ

3.「何故 なぜ?」を常に考える

自分の幼少時代はどうだったろうか?自分の子が小さい時はどうだったろうか?

私自身はその記憶が非常に曖昧です。「え~、どうして?何で?」の言葉について・・・。

この言葉で大人を質問攻めにする年代があると言います。子どもによってもちろん差がありますが、おおよそ3~10歳の時期に著しく脳が発達するそうです。「え~、どうして?何で?」を連発し親を困らせた子どもって、今どんな人生を歩んでいるのでしょうか?脳みそを沢山つかう仕事や環境に身を置いているのでしょうか。

当たり前ですが、幼少期は人生経験がありません。様々な体験を通して学習していきます。その源は、”わからないから知りたい、知らないから理解したい”、などの好奇心、探求心からくるものです。やがて、表現力、想像力、創造力、思考力など脳のなかでこれらが、カスタマイズされていきます。

誰しもが持っている(持っていた)このサイクル、非常にうらやましいですね。自分は”持っていた”の年齢になってしまいましたが、”持っている”の年齢(50歳前後?)のみなさんはまだまだ学習能力はあると思います。良く50歳過ぎからでも脳は鍛えられると言われていますが、それは事実だと思います。

先に記した幼少期の「え~、どうして?何で?」という”好奇心や探求心”に対し、私たちは自らブレーキをかけている(た)のかも知れません。おそらく大人になるにつれて既知の知識や経験で行動することが普通になり、さらにその行動をとるための算段に能力をつかうことが増え、何でも計画的にそして効率的にやっていこう、動いていこうという行動様式が、”好奇心や探求心”という思考を置き去りにしてきたのです。

大人になった過程で已む無しと思うか、いや勿体ないと思うか、ここがポイントです。何せ、みなさん全ての方に備わっている能力(学習)ですから。

そうです。勿体ないです!はい、復活させましょう!

  1. 「好奇心・探求心」というこの言葉を毎日、心の中で唱える
  2. 少しでも疑問に思ったら、書く、言う、聞く、調べる

だまされたと思って、しばらく続けてください。変わってきます。

これにより、凝り固まっていた思考パターンや行動パターンが大きく変わります。会議中、何となく聞いていた話も、「おや 矛盾したこと言ってるな?ちょっと調査不足だな?要点があいまいだな?」など、いつもの自分なら気づかなかったこと、意識しなかったことが見えてきます。また、見えてきたことに加え、やはり確認してみたい、意見したいなど、消極的・受動的な立場にいた自分が徐々にですが積極的・能動的なアクションをとれるようになってきます。

4.自責思考を常にもつ

自責とは、自分をせめてみじめな気持ちになることではなく、自分にも責任の一端があるのではないかと考え直すことを指します。
人のせい(他責)にすること、すなわち責任転嫁することが少なくなれば、自身の判断力や解決力が自ずと高まります。そうでなければ、問題の解決策はほぼ他人任せになりがちとなるのです。

心理学的には、子どもから大人へと成長する過程(おおよそ15~20歳前後)で、「自己中心性」という思考を有するようになるとあります。自己中心性とは、他人を区別することができず、他人の心情などを客観的に考えることができないことを指すと。

では幼児期の”わがまま”と、この場合とどう違うのでしょうか?

私は違いはなく、寧ろ幼児期の段階で自己中心性は表面化し、環境によって変化するものだと考えます。自分の立場でしか物事をみれない思考/性格、一方他者の視点から物事をみれるようになる思考/性格は、思春期・青年期において変化させようと思っても自身の力では相当難しいであろうと感じます。他者からの忠告・意見・指導や衝撃的な出来事があって初めて気づくことではないでしょうか。

砂場遊びやおもちゃ遊びなど幾人かの友だちと遊んでいれば、必ず揉め事がおきます。おもちゃの取り合いや砂かけなど。こんな時、親や先生が「もし○○ちゃんだったら、このことどう思うかな?」と投げかけをしたり、考えさせることで徐々に本人の思考の変化がでてきます。なにも自己(わがまま)を無くせということではなく、他の子の立場を考えようという指導教育の範囲です。

では、自己中心性を保持したまま大人に社会人になった者は治らないのか?もしくはそれと気づかないのか?

いえ、大丈夫です。次のことを行ってください。

  • 他人評価を受け自分を知る

一択です!辛く大変なことですが、自身の思っている自分と他人が感じている自分を正しく把握することで、今後の行動が変わってきます。ヒアリングする相手は、複数が良いでしょう。親、兄弟、知人、同僚、先輩、上司など出来る限り数多くの方にヒアリングしてください。直ぐにあなた自身の「自責」「他責」度合いがわかります。

  1. 人の意見などをよく聞く
  2. 素直さや謙虚さがある
  3. 愚痴をこぼすことは少ない

該当する○が多いなら「自責」、×が多いなら「他責」です。

「他責」と判断された方は、今から自分を変えていきましょう。以下の2っのポイントを徐々に実践していきましょう。言うは易く行うは難しです。焦らず、事象発生ごとにこの2点を思い出し実践してみてください。

  • 他人の”せい”で終わらせない”ひとごと”ではなく”自分ごと”として置き換える
  • ミス、失敗、クレームなど同様の間違いや誤りを繰り返さない算段を考える

ここで2冊、関連本を紹介させていただきます。本の要約などはいたしません。ご自身でお読みいただき、ご自身で感じとってください。簡単な紹介だけさせていただきます。

 

「素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心であります。また、静にして動、動にして静の働きのある心、真理に通ずる心であります」

これは、松下幸之助さんの「素直な心になるために」です。改めて説明する必要性もありませんね。私はいつも読み返しています。

お薦め度☆☆☆ 人によっては読みづらいかもしれません。

 

2冊目は、実践書です。「自責社員と他責社員(経営者新書)」これは管理職者用に書かれていますが、寧ろ若い人が読んで、上司や幹部クラスがどのように社員と業務のことを考えているのかを知れる良書です。そして何より「自責/他責」を知る絶好のチャンスです。

お薦め度☆☆☆☆4つ星です!

 

「正直(素直)、謙虚、好奇心旺盛」をスローガンとしたアパレル企業に就職した1980年代、多義にわたるファッションブームが巻き起こっていました。竹の子族、DCブランド、渋カジ、ハマトラなどなど、年配者にとっては懐かしい、そうでない方は?かもしれません。

この頃の大学は、授業があるかどうかは学校の掲示板を見ない限り知る由もない時代でした。携帯電話ない、パソコンない、電子手帳ない、ないないづくしです。不真面目な学生でしたので、娯楽といえば、麻雀、パチンコ、ビリヤード、ボーリング。学校近くはほぼ麻雀屋ばっかりです。授業があってもなくても麻雀。今振り返るとこの入り浸りの場所、麻雀屋、パチンコ屋、食堂、学生会館(クラブ、サークルが所有する部屋のある建物)が人と人が出会う、通信(?)手段だったのかもしれません。このどこかに行けば、誰か知り合いがいる。その知り合いに聞けば、誰が今どうしている!かわかる。

あっ、あともう1カ所ありました。下宿生のところです。ここを根城にして、楽しい学生生活を送れたと言っても過言ではありません。学校周辺に下宿している友人は意外に少なく、西武新宿線の沿線上のアパート住まいが一番多かったですね。下落合、中井、沼袋、野方です。こっから先は遠いのでほぼいませんでした。

当時の機器は、校門近くの店屋のコピー機です。私のようなぼんくら学生は、真面目で優秀な学生の講義ノートを借りてコピーさせてもらうんです。何せ授業に出席してないものですから・・・。

本当に信じられないでしょうが、未だに単位不足で「ああ、卒業できない!」って夢を見るんですよ。そこまでひどかったかな~と思うんですが・・・。

その当時、前期・後期の試験があり、学生がバイトで試験官をするのですが、サンプラザ中野くんがバイトやってましたね。学ラン着てました。

掲示板を見ないと、授業の有無、その他スケジュールなど何もわからない時代。就職課(キャリアセンターというのかしら)も然り。単に企業あっせんのペラ用紙が何枚も貼ってあるだけで、学生はそれを見て企業に連絡をとるんです。もちろんパソコンはありませんから、簡単に企業研究はできません。本当にどうやって調べたんでしょうね。私自身良く覚えていません。逆に、ポスターサイズの用紙に手書きで作った”人気企業ランキング○○位”が目に留まったイメージがあります。

バブル崩壊前でしたので、大手中心に証券会社は人気がありました。また大手アパレル企業も上位にいました。これに釣られた私もいました。特段後悔している訳ではありませんが、本社ビルが中落合にあったHOYA㈱は当時内定をもらったんですが辞退しました。イメージは”保谷ガラス”しかなく、まさかこんな企業になるとは・・・。前回、任天堂の話を少ししましたが、こちらは先見の明がない方でした。

ジョルジオ・アルアーニ、コム・デ・ギャルソン、コムサ・デ・モード、アンダーカバー、イッセイ・ミヤケ、ヨウジ・ヤマモト、ケンゾーなどのDCブーム(デザイナーブランド)はバブルの象徴だったのでしょうか。自社製品の服を着て販売する”ハウスマヌカン”のイメージは憧れの的だった一方、コミカルな演歌風の曲(「夜霧のハウスマヌカン」やや)も時代の証として記憶にあります。

ただこれ以降、DCブームは去り、同時に大手メーカー、レナウン、ダーバン、VAN、JUNなど終焉迎える時代がすぐそこに来ていました。

また何だか、わけわからない内容になってきました。脱線しすぎです。

本当は、「その3、その4」を考えていたのですが、お題は改めて練りたいと思いますので、『楽に仕事ができる習慣 仕事はできないよりできた方が良い』はこれにて完結とさせていただきます。

ありがとうございました。

 

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